『あきらめない』千葉13区(鎌ケ谷市、白井市、印西市、栄町、酒々井町、富里市、我孫子市)

プロフィール

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宮川 伸
みやかわ しん
1970年6月29日生まれ
血液型:B型
星座:かに座
家族:同級生の妻と2人の子
尊敬する人:マザー・テレサ、スタンレー・ミラー
座右の銘:忘己利他(自分を忘れて、他人のために尽くすこと)
趣味:隕石コレクション、食べ歩き
好きな食べ物:レモネード、カレー
好きな動物:犬、パンダ

船橋市立習志野台中学校卒業(サッカー部)
千葉県立千葉東高校卒業(ラグビー部)
東京工業大学無機材料工学科卒業(ヨット部、主将)

1970年

母の実家である岐阜市の病院で生まれる

1977年 あやめ台幼稚園卒園(千葉市稲毛区)
千葉市立柏台小学校入学
1986年

船橋市立習志野台中学校卒業(サッカー部)

サッカーに打ち込む。3年夏の大会で敗れた時には、あまりにも悔しくて涙が止まらなかった。
部活にかまけていたせいもあり、夏休み明けの実力テストが悲惨な結果に。2学期から気持ちを切り替え、受験勉強に真剣に打ち込む。睡眠時間を削ってまで勉強しようと、親友たちと時間を深夜に決め電話をかけあった。
担任の佐藤一美先生を始め、先生方から頂いたよりそったご指導が、今も自分の生き方を支える柱の一つとなっている。

1989年

image3千葉県立千葉東高校卒業(ラグビー部)

県内で強豪だったラグビー部に入部。「きつい」「痛い」「泥まみれ」という三拍子そろった、まさに昭和の体育会の練習の日々。もちろん練習中に水を飲むことはご法度。ある日、仲間の一人が隠れて飲んでいたのがバレて、学年全員が連帯責任を取らされ、日が暮れるまでダッシュさせられたこともあったが、今となっては全てが良い思い出。
3年の12月まで部活は続け、結果、見事に大学受験に失敗。1年間、駿台予備校に通う。
その時の数学の秋山仁先生の授業は今でも忘れられない。

1994年

東京工業大学無機材料工学科卒業(ヨット部、主将)

一浪してなんとか東工大に合格。2次試験の面接では「君なら球体をどうやって作る?」という質問に、自分で納得できる回答が出来ず、「これで帰るわけにはいかない!」と思い、日暮れまで面接官を待ち、再度説明した。
ラグビーで負った太ももの肉離れが完治しておらず悩んでいたところ、友人からの誘いもありヨット部に入部。年間で都合4カ月の合宿生活。合宿中は合宿所から直接教室に通い、何とか単位を取得する。
そのころ、薬害エイズ事件が発生し衝撃を受ける。機会があり部活OBの紹介で菅直人厚生大臣(当時)に面会。これがきっかけで政治に興味を持つようになり、週2日、同議員の事務所にボランティアとして通い始める(詳しくは後述)。

1999年

東京工業大学博士課程修了(理学博士)

澤岡昭教授のもとで「生命の起原」の研究に従事する。RNAの構成分子である核酸塩基を、MPDアークジェットというプラズマ発生装置を用いて作製することに成功した。同年、日本化学会春期講演激励賞を受賞。

これは、2年の歳月をかけ自作した「生命製造装置」。これを作るため、研究室に何日寝泊まりしたことか……。

1999年 カリフォルニア大学サンディエゴ校 stanley L. Miller

妻と長女を伴い渡米。スタンレー・ミラー教授(写真)のラボで研究を続ける。マイナス78℃で27年間凍っていた「原始スープの氷」を分析したところ、その中にRNAの構成分子が存在することを発見した。
長期間の海外生活は初めてのことで、家探し、運転免許の取得、電話・医療保険・銀行などの手続きを全て英語でこなすのには難儀した。
そんな中、ミラー教授のホームパーティに招かれた日の出来事。娘が日本のスナック菓子「おっとっと」を一つ先生にあげようとし、床に落としてしまった。先生はニコッと微笑みながら「ありがとう」と、汚れも気にせず口にされた。ほっこりした一時だった。

2001年 レンセラー工科大学 image3

温暖なサンディエゴから一転、雪国のニューヨーク州トロイに居を移し、ジェームズ・フェリス教授のラボで研究を続ける。オーストラリアに飛来したマーチソン隕石や南極隕石にRNAを作る触媒作用がないか調べた。Best Poster Award 2002 in the International Conferences of the Origin of Life in Mexicoを受賞。
この頃、町の病院で長男が生まれる。帝王切開だったが手術室に入れてもらい、出産直後の小さい小さい我が子を抱っこし、感激する。
その一カ月後、9.11の同時多発テロ事件が発生。自分が研究しているかけがえのない生命の多くが一瞬で失われるのを目にし、「なぜ人は争い、尊い命を奪い合うのか」と傷つく。「子どもたちが安心して暮らせる平和な世の中にしなければ!」と強く思う。

2003年 東京大学医科学研究所研究室

帰国後、中村義一教授のラボでRNAを使った核酸医薬(後に新型コロナウイルスワクチンで有名になる)の研究に取り組む。特に、未だに効果的な薬剤が無い子どもの難病に対する新薬の開発を目指す。
週末は、自ら立ち上げた『デモクラッツCHIBA』という市民グループで政治問題に取り組む。同時に、千葉1区の田嶋要衆議院議員の後援会に入りボランディア活動を行う(詳しくは後述)。

2005年 バイオベンチャー設立
2016年

新鎌ヶ谷駅前にて4月より民進党千葉県第13区総支部長を務める。

医薬品の研究開発にやりがいを感じていたが、安倍政権の安保法制をはじめとする憲法を無視した右傾化政策に強い危機感を持ち、衆院選への出馬を決める。周囲の反対を説得し会社を退職、不退転の決意で臨むことに。
世界の平和を願い外交・安全保障の分野に力を入れるとともに、「格差を断つ」をキャッチコピーに非正規雇用や貧困問題を中心に選挙戦で訴える。

2017年 image3第48回衆議院議員選挙において立憲民主党より立候補。
57,431票を得て比例区南関東ブロックより初当選。

衆議院所属委員会
・経済産業委員会
・安全保障委員会
・原子力問題調査特別委員会
・科学技術・イノベーション推進特別委員会

2021年
その①
三ツ星議員受賞

ジャーナリストの田原総一朗氏が会長を務める政策NPO『万年野党』が選出する『国会三ツ星議員』に選出される。

野田市で発生した心愛(みあ)ちゃん虐待死事件に衝撃を受け、児童相談所の問題に取り組む。新たに印西市、松戸市、柏市、船橋市に児童相談所が新設されることとなる。
また、コロナ禍で取り残された放課後デイサービスの子ども達の問題や、不登校・引きこもりの問題などにも積極的に取り組む。
さらには中小企業の価格転嫁、イノベーション産業育成、再生可能エネルギー導入など経済産業政策にも注力する。

2021年
その②

第49回衆議院選挙で、前回を2万2千票も上回る79,687票をいただくも落選。志半ばで政治の道を断つことは出来ず、立憲民主党千葉県第13区総支部長に就任。『あきらめない』を合言葉に、「一人ひとりが大切にされる社会」の実現に向けて政治活動を継続中。

「子ども子育て予算こそ倍増」をスローガンとし、岸田政権が打ち出した防衛増税や子育て支援金の問題点を指摘。また、マイナ保険証、インボイス制度、地球温暖化の問題などに取り組む。加えて、統一教会や裏金問題など、日本の民主政治の根幹を揺るがしかねない政治状況を打開すべく活動。
これまで一貫して取り組んできた「命の大切さ」に関しても、ロシア・ウクライナ戦争、ハマス・イスラエル戦争、能登半島地震などの課題に向きあっている。

ボランティア活動

学部生の時に発生した薬害エイズ事件をきっかけに、学生ボランティアとして政治活動を始める。なぜ、水俣病事件をはじめとする過去の教訓を活かすことができないのか――。大学の先輩である菅直人議員の事務所に週2日ほど通い、所沢ダイオキシンの問題などに取り組むほか、若手支援者の会である『CAN2』の事務局を担当する。
米国から帰国後は田嶋要議員のもとでボランティア活動を続け、再生可能エネルギーの普及などに取り組む。また『デモクラッツCHIBA』代表、『NPO法人自然エネルギー千葉の会』理事、『解釈改憲による集団的自衛権行使容認に反対する千葉市民の会』呼びかけ人などを務め、市民活動を活発に行う。
自ら立ち上げた『デモクラッツCHIBA』では、イラク戦争、原発政策、千葉都市モノレール延伸問題などに取り組む。また2014年7月1日、安倍政権が突如行った集団的自衛権の行使を可能とする閣議決定に反対するために、千葉県で最初のアピール行動をとった

みやかわ伸の突撃インタビューバナー 応援メッセージ

三ツ星議員として表彰されました

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