核兵器を全面禁止する「核兵器禁止条約」が来年1月22日に発効する見込みとなりました。日本政府がこの条約に反対の立場をとってきた一方で、広島・長崎の被爆者やご遺族の皆様、ノーベル平和賞を受賞したICANなど世界中の多くの人々が活動した結果だと思います。
 日本政府は核保有国が参加しないこの条約は実効性が薄いとして署名せず、従来の核拡散防止条約(NPT)に軸足を置くと説明しています。実際、日本は毎年国連総会に「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮」決議案を提出しています。
 しかし、このままでは世界の動きに取り残されてしまいます。唯一の戦争被爆国である日本は、核兵器のない世界を目指して、世界の先頭に立って進んでいく必要があります。
 2018年1月にICANのフィン事務局長が国会にいらっしゃった際、私も会議に参加しました。フィン事務局長は安倍首相(当時)に面会を求めていましたが、会ってもらえなかったそうです。
 フィン事務局長は会議の中で「日本にとって核軍縮のリーダーになるよい機会です。大量殺戮、市民まで巻き添いになる兵器が安全保障の中核にはなり得ません。これまで、安全保障を強化していく点で、核兵器は逆行してきたのです。核抑止力では北朝鮮の核開発は阻止できませんでした。今、安全保障を核兵器に依存することは『恥ずかしいこと』という流れになってきています。日本も新たな道筋を考えるべきです」という主旨のスピーチをされました。
 これに対して、日本政府を代表してヒゲ隊長の佐藤正久外務副大臣(当時)が以下のように話されました。
 「核兵器禁止条約が、いかに核廃絶という崇高な目的を掲げるものであっても、この条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損なうことにもつながります。これは日本国民の生命や財産が危険にされても良いということと同じと考えています。日本政府としては、我が国のアプローチと異なる核兵器禁止条約に署名することはできません」
 全ての核保有国が賛同しなかったことや、日米関係を考えると、簡単に署名できないことは理解できます。しかし、日本政府はどれだけの努力をしたのでしょうか? 国連で核兵器禁止条約の署名が行われている時、安倍総理は同じ国連の総会で北朝鮮に対して「対話より圧力」のスピーチをしていました。フィン事務局長の面前で佐藤副大臣のスピーチを聞いて、とても残念に思いました。

■ICANノーベル平和賞受賞の様子
サーロー節子さん
 13歳の時に広島の爆心地から1.8kmの場所で被爆。一緒にいた同級生30人、姉と4歳の甥が亡くなった。「まず最初にまぶたに浮かぶのは4歳の甥の事なんです。真っ黒こげに焼かれて腫れ上がって、でも、かすかな声で、お水をちょうだい、ぶんぶちょうだい、と求めながら亡くなって行きました」
 22歳の時に留学し、カナダ人と結婚。60年以上海外で被爆体験を伝え「二度と核兵器を使ってはいけない」という共感を世界に広めてきた。

■ノーベル平和賞ICAN 川崎哲さん講演
 ICANがノーベル平和賞を受賞したことをきっかけに、「核兵器廃絶をめざす千葉の会」が立ち上がりました。2018年6月には千葉で川崎哲さんの講演会が開かれました。腹話術で被爆体験を伝える小谷孝子さんと「あっちゃん」も参加しました。

2020年11月1日号「核兵器のない社会を目指して」