日本再生第499号(2020年12月1日)に宮川伸のインタビュー「命と暮らし、そして立憲主義を守る~初当選から三年&これから」が掲載されました。
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□インタビュー□
命と暮らし、そして立憲主義を守る~初当選から三年&これから
立憲民主主義を守る
このたび、新たな立憲民主党ができました。私も初心を忘れずに、三年前の思いをしっかり新党にもっていきますと、 みなさんに説明しています。
私が研究者を辞めて立候補した最大の理由は、自由や民主主義、そして命にかかわる安全保障の問題に関して、安倍政権の下で非常に不安を感じたことからです。とくに安保法制の問題では、立憲主 義が踏みにじられていくことに大変な危倶を覚えました。私が携わっていた医薬品開発も、命を守るという意味では重要な仕事ですが、しっかりした日本を子どもたちに残していかなければという思いから立候補を決意しました。これが私の初心であり原点だと思っています。
そこから振り返ると、議員経験ゼロということもあって、この三年間は必死で走り続けてきました。思っていた以上に、議員というのは「自由」なんですね。 指示のようなものもほとんどなく、自分で考えて自分でやらなければならないので。初当選後は安全保障委員会に入りましたが、一、二週間くらいですぐに委員会質疑に立ちました。そういう意味では最初の一、二年は本当にアップアップでした。
ただそれだけ必死でやってきたにもかかわらず、安保法制を廃止することがひとつの目標でしたが、これはそのまま残っています。あるいは公文書の問題に関しても、いいかげんな状態が続いている。赤木さんの奥様は裁判に訴えていますが、モリ・カケも何も解決していない。政治とカネも、カジノもそうです。
私は千葉県の生まれ育ちで、親からは「千葉県は金権千葉と言われている。選挙のときにお金をもらって投票するようなことはダメなんだよ」と子どものときに教えられました。さすがに今では千葉でもそんなことはないと思いますが、同じようなことが公然と行われていた。私が子どものときに親に教えられたことがいまだにできていないのかと、ショックでした。
安全保障も政治倫理も公文書も三年間でまったく改善していないどころか、悪くなっている。申し訳ないのですが、自分がどれだけ議員として社会に役立てたのか。もっと後退していたかもしれないところを食い止めた、という貢献はしたかもしれませんが。
そういう意味ではやはり次の選挙でも勝ちぬいて、世界に誇れる社会をしっかり作っていきたいという思いが強くあります。
日本学術会議が推薦したうちの六人の先生が排除されたという今回の問題も、総理はそうではないと言いますが、おそらく安保法制に反対していたからではないか。
この問題を間いてすぐに思い出したのは、四年前に岸井さんや古館さん、国谷さんといったキャスターが次女と降板させられたことです。あの時も言論の目由の問題として声をあげたのですが、当時、報道の自由度の世界ランキングでは、鳩山政権のときに11位だったのが72位にまで落ちました。
当時、政治圧力はないと安倍総理は言いました。今も総理をはじめ国会のなかでは、「説明している」と思っているかもしれません。国民も「またか」と見ているかもしれません。しかし世界はそうは見ていない。報道の自由度は先進国では最低レベルで、言論の自由に顕著な間題があるというカテゴリーのなかに、今や日本は入っているわけです。
もうひとつ、学術会議の問題は武器輸出の問題にも関連するのではないかと思っています。二年ほど前に軍学共同研究について、日本学術会議は反対の立場をとりました。僕は軍学共同研究には反対です。当時、安倍政権は成長戦略のひとつとして、原発やカジノとともに武器輸出を推進していました。そのために武器輸出三原則を撤廃し、防衛装備庁をつくりました。
ところがなかなか武器が売れない。オーストラリアに潜水艦を売ろうとしたが、フランスに取られる。P1哨戒機もイギリスやニュージーランドに売れない。そういうなかで、軍学共同研究として大学で軍事研究をしろと言いだしました。防衛省の来年度予算の概算要求にも、108億円の軍学共同研究予算が入っています。あの時以来、毎年100億円程度の研究費がついているわけです。
その研究助成金を大学が取るかどうかが大きな問題になり、日本学術会議は軍学共同研究にはくみしないという従来の見解を踏襲しました。戦前、東大をはじめとする帝国大学に軍事研究をやらせて武器が開発されたという経緯を踏まえ、 1950年に日本学術会議は軍事研究はしないという声明を発表して、それをずっと踏襲してきたのですが、このときもその立場を維持したわけです。
軍学共同研究を言い出したのが安倍政権であり、菅官房長官です。菅総理は「以前から日本学術会議には問題があった」と発言されていますが、まさにそれは学術会議が軍学共同研究に反対したことではないかと、僕は思っています。
いずれにしても安保法制に反対した人は排除して、軍学共同研究に反対した組織は改変するという政治は許しがたいと思います。
子どもを守る
私が力を入れてきたのはエネルギー、安全保障の問題ですが、もうひとつ気持ちを込めているのは子どもです。とくにこの間力を入れてきたのは、児童虐待の問題です。
二〇一九年に野田市で、児童虐待で女の子が亡くなるという事件がありました。うちの党でも児童相談所に関する議員立法を提出したのですが、この事件は柏市の児童相談所も関係していて、大変ショックを受けました。私の選挙区には柏市の一部も含まれていて、じつは毎年、柏市の担当部局の方から陳情を受けていました。柏市にあるのは県の児童相談所なのですが、管轄が広すぎてカバーしきれない、中核市である柏市独自の児童相談所を作って子どもたちを守りたいが、厚労省や総務省の助成金が少ない、そこをしっかりサポートしてくれないと児童相談所がつくれないと。
私もそういう要望を伝えてはいたのですが、そのさなかに事件が起きた。もっとやれたのではないかと自分自身にも反省があり、それからかなりいろいろ動きました。例えば千葉県選出の議員団で県に要請したり、また私の選挙区にはいくつかの自治体が含まれているので、そこを全部回ってお話を聞いたりしました。
もちろん私だけではなく自民党も含めて多くの方が動いた成果だと思いますが、千葉県北部に新たに四か所、児童相談所ができる見通しになりました。まず柏市と船橋市が、それぞれ独自の児童相談所をつくろうとしています。また千葉県が鎌ケ谷市と松戸市のどちらかと成田市の近辺に、それぞれーつずつ新たに作る見通しです。
児童虐待の問題は、児童相談所をつくればいいということではないのはわかっていますが、まずは児童相談所をしっかり増やすことを目標にしていたので、とりあえずそれはできたと。今後もしっかり予算がつくようにすることと、職員をちゃんと集められないとうまく運営できないので、そこは引き続き要望しているところです。
まっとうな税制を
消費税の問題では、とくに不平等税制について国会質間でとりあげました。消費税を上げる一方で、大企業や高所得者に有利な優遇税制が行われているということです。
この間、消費税を増税する一方で法人税、所得税を減税し続けてきました。その結果どうなっているかというと、消費増税による税収増(プラス)と、法人税・所得税減税による税収減(マイナス)がほぼ同額なのです。消費税を上げた分が、法人税・所得税の減税で帳消しになっているわけです。
さらにくわしく中身を見ると、所得税は累進課税なので、所得が増えるほど税率も上がる(最大45パーセント)のですが、じつは最大税率は1億円くらいのところで、それ以上になると逆に税率が下がるのです。なぜかというと、お金持ちの人は株を持っていて、株取引の所得に対する課税は一律20パーセントだからです。ここはさすがに不平等ではないのかと。
法人税についても、資本金一億円くらいのところが一番税額の割合が大きくて、それ以上になると下がっている。これも大企業にはいろいろな特例があるからです。
またこれはちょっと説明がむずかしいのですが、ストックオプション税制の改正というものがありました。簡単に言うと、株を持っている人が得をする制度です。今申し上げたように、元々株を持っている人が有利な税制になっているうえに、しかも消費税を上げる一方で、株を持っている人がさらに得をする税制改正はおかしいと追及しました。残念ながら、ほとんど報道されませんでしたが。
大企業についても5Gにおける優遇税制改正が成立しました。これは5Gの基地局を積極的に造る会社を税制優遇するというものですが、対象になるのはキャリア大手三社だけです。ただでさえ大企業の税制優遇が問題になっているのに、さらにこういうことをやるのはおかしい、消費税で庶民には増税しながら大企業には減税する、ということでいいのかと。
細かい話になりましたが、僕の立ち位置は格差を是正することであり、金持ち優遇、大企業優遇の政治はおかしいという立場に沿って三年間やってきたということは、お伝えできるかと思います。
コロナウイルスから命と暮らしを守る
コロナ危機にもいろいろ取り組みました。
一番困ったのは、外出自粛要請が出た三月、四月でした。災害の時もそうなのですが、衆議院議員が現場に行くと、議員が来たということで対応しなければならないが、来たって邪魔なだけだと。邪魔にならないように貢献するにはどうしたらいいのか、なかなか悩ましいところなのです。コロナでも、外出自粛要請が出ているときに外を回るのもどうなのかと、いろいろ悩みました。
支援者の方とも話した結果、こういう危機のときだからこそ政治家が一生懸命やらないといけないのではないか、ということになりました。ではまず何をしようかと考えた結果、下のポスターを五月連休中に貼りました。私の看板が選挙区のなかに千くらいあって、それは非常に大きなツールなわけです。それまでは私の顔のポスターが貼ってあったのですが、そこに「コロナウイルスから命と暮らしを守る」という文字ポスターを貼って、政治はみなさんの命と暮らしを守るために動いています、というメッセージを伝えようと。
そこに国の支援策の一部(持続化給付金と特別定額給付金)を紹介しました。生活弱者の方は情報弱者でもあることが多いので。このポスターを見て「私も10万円もらえるんですか」という相談がけっこうありました。持続化給付金も、なかなか申請できないという人がたくさんいて、それについてもかなり動きました。そんなこんなで四月、五月、六月はかなり忙しかったです。
もうひとつが、PCR検査をなかなか増やせないという問題です。私もバイオ系の研究者なのでPCR検査もやっていましたから、その経験をいかせないかと考えました。
東大の児玉先生―今は世田谷区のアドバイザー―は、参議院の参考人質疑でPCR検査を増やさないと大変なことになるとおっしゃっていましたが、都知事や首相に言ってもまったく前に進まない、個々の議員が自分の選挙区だけでもやれるように必死になってやるしかないと言われました。
そこでPCR検査を増やすために、市民グループと署名活動をやりました。政治家が署名活動するのも変な話ですが、そんなことも言っていられない。まず目標にしたのが、せめて介護士さんや看護師さんといった体の弱い人に接する人は、いつでもPCR検査を受けられるようにしてほしいと。これはとくに介護士さんからの陳情が多かったのです。心配だけど検査を受けられないし、休めない。介護しているお年寄りに感染させてしまったら、と思うと本当につらいと。
この署名を厚労省に提出して数週間後に厚労省が基準を変えて、介護士さんと看護師さんは無料でPCR検査を受けられるようになりました。一歩大きな前進ができたと思います。ただ厚労省は予算を付けたと言いますが、実際にPCR検査ができるかどうかは自治体の問題で、自治体が受け皿を作らないと検査を受けられません。そこで千葉県にも何回か足を運び、保健所にも足を運び、もう一度署名活動をして千葉県に出してということを、かなりの時間を使ってやりました。
もうひとつは外交・安全保障です。これは国会議員の活動の大きな柱のひとつだと思います。平和を守るためには、目の前でミサイルが発射されたらどうするか、ということでは遅くて、そのはるか以前から平和外交を続けていく地道な外交努力が重要だと思います。
僕は自分の選挙区からはほとんど出ないことにしているのですが、この三年の間に例外的にいくつか海外にいきました。
ひとつはワシントンDC です。日米原子力協定の改定があったときでしたが、民主、共和両党の議員と意見交換してきました。
また自衛隊の唯一の海外拠点があるジブチ(アフリカ)にも行きました。日米地位協定が問題にされますが、ジブチでは日本がジブチと地位協定を結んでいるわけです。ここがどういう状況なのか。ソマリア沖の海賊対策として自衛隊が派遣されたわけですが、もうほとんど海賊はいない状況で、このまま自衛隊が海外に居つづけていいのか、地位協定はどうなっているのかということを現地で見て、アメリカ軍やフランス軍、ジブチの沿岸警備隊司令官とも話をしてきました。
もうひとつはイスラエルとパレスチナです。ちょうどトランプさんが大使館をエルサレムに移した少し後でした。中東の安定は世界の安定、ひいては日本の安定につながります。アメリカとイランの緊張が高まるなか、今年二月には自衛隊の艦船が「情報収集」の名目で中東に派遣されています。こうしたなか、中東間題の中心であるパレスチナではシュタイエ首相と意見交換してきました。
これらは非常に地味なことですが、外交・安全保障の基礎はこうした地道な外交努力にあると思っています。
異なる意見と向き合う
苦労したことでいうと、新型インフル特措法の改正です。このときは本当に苦しかった。
特措法は民主党政権時に作ったもので、新型インフルに十分対応できなかった教訓から“次”に対応できるようにと作ったものです。二月の終わりごろから、この特措法を適用してルールに基づいて対応していかないとだめだと、国会質疑でも繰り返し言っていたのですが、なぜか安倍政権は特措法を適用しませんでした。民主覚政権が作った法律だから、ということかもしれません。
そうこうしているうちに事態が悪化し、三月末に突然全国の学校の休校要請を発しました。しかしこれは特措法を適用しないとできないことで、特措法に基づく緊急事態宣言も出さずに総理が勝手に学校休校を要請するなど、法治国家としてありえないことです。特措法があるのだから、それを適用すればルールにのっとって学校休校もできるにもかかわらず、法律を適用しないために独裁政治のような形で全国いっせい休校になってしまった。こうした流れの中で、インフル特措法をコロナにも適用できるようにする、という改正案を安倍総理が出してきたわけです。
この改正に反対すると、このまま法律なしの状態でコロナ対応策が進むことになる、やはりルールに基づいて対応できるようにしなければならない、というのが党内の大半の意見でした。
ただ支援者のみなさんのなかには、特措法のなかの緊急事態宣言は、自民党の憲法改正案で取りざたされている「緊急事態条項」に近いもので、国会承認なしに総理の一存でできることに危機感をもって、これを認めてはだめだという意見がありました。
僕もなるべく丁寧に説明しようと、ZOOMの集会を何回か開きました。われわれは国会承認を求めてきましたが、逆に安倍さんにしてみると、改正案に国会承認を含めないほうが、野党を分断できるわけです。国会承認を入れても運用上は何も問題ないはずなのに、永田町の政治的思惑で国会承認を外してきたと言わざるをえない。その思惑にまんまと乗って、国会承認を求めるかどうかで野党が分裂してしまうと、よけいおかしなことになる。今回は賛成せざるをえないが、付帯決議をしっかりつけて懸念されるようなことが起きないようにすると。丁寧に説明はしたのですが、かなり議論になりました。
全員が賛成するということはないので、これからもこういうことが起こると思いますし、与党になればなおさらだろうと思います。ただそれでも丁寧に説明して、あるいはちゃんと意見を聞いて誠実に対応していくことは、これからも忘れずにやっていかなければならないと思います。それでも埋まらない溝は、どこかで判断しないといけないとは思いますが、少なくともそこは一生懸命やりたい。異なる意見と向き台って、多様性を尊重しあうという意味でも、とてもいい経験になったと思っています。
宮川伸(みやかわ しん)
衆議院議員
1970 年生まれ。東京工業大学博士課程修了(理学博士)。カリフォルニア大、レンセラー工科大学、東京大学などで研究に携わったのち05年にバイオベンチャーを設立。2017年、総選挙に立憲民主党より立候補、比例区南関東ブロックより初当選。
http ://smiyakawa.com/
(11月5日。聞き手/戸田政康、石津美知子。タイトル、小見出しとも文責は編集部)