安倍晋三元総理のご逝去の報に接し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。いかなる理由があろうとも、民主主義の根幹である選挙中に銃弾により命を奪うような行為は決して許してはなりません。
7月14日に岸田総理から「この秋に『国葬儀』の形式で安倍元総理の葬儀を行うことといたします」との発表がなされました。その後、私のところには反対する意見が多数届いています。静かにご冥福をお祈りすべき時に、なぜ国民を分断するような行為に出るのか、もしそれが政治的理由であったとしたらたいへん残念です。岸田総理はなぜ敢えて国葬にするのか、特に以下2つの視点から、きちんと国民に説明すべきです。
過去を振り返ると、1967年吉田茂元総理の時に国葬が行われましたが、その後は2000年小渕恵三元総理、2004年鈴木善幸元総理、2006年橋本龍太郎元総理、2007年宮沢喜一元総理、2020年中曽根康弘元総理と全て内閣と自民党の合同葬として執り行われました。岸田総理はこれら歴代総理よりも安倍元総理がはるかに優れた功績を残されたと判断したのでしょうか?
明治憲法のもとでは、国葬令という勅令がありました。戦後、日本国憲法の制定・施行に伴い、明治憲法のもとで通用していた命令については整理が行われ、国葬令は廃止されました。このような経緯を考えると、国葬を復活させるのであれば、国会できちんと議論し、かつての国葬令のようにそのルールや基準を法律で明記すべきです。その時の総理のさじ加減で合同葬にしたり国葬にしたりすることでよいのでしょうか?
岸田総理、私は「静かに」安倍元総理のご冥福をお祈りしたいです。
前衆議院議員 みやかわ伸
(多くのご意見が事務所に届いていますので、私の考え方を記しました。)